かおるの梅
心の小部屋
【心に残る言葉集】

心の栄養にして下さいね

 〜 夢 〜

夢のある者は、希望がある。

希望のある者は、目標がある。

目標のある者は、行動がある。

行動のある者は、実績がある。

実績のある者は、反省がある。

反省のある者は、進歩がある。

進歩のある者は、夢がある。

☆高く飛び上がろうと思えば、まず ぐんと縮むことである。
☆回っているコマは倒れない、喜んで働く運命は、倒れない。
☆押さえつけたら物も心も動かない、相手を勇ますことが先である。
☆優しい言葉が幸福を生み荒い言葉が不幸をつくる。
☆一粒の米一枚の紙、一人の友を粗末にする人はやがて孤独と貧困に泣く。
☆年よりの一番喜ぶことは優しい言葉と優しい態度。
☆おしゃべりの人には敵が多く無口の人には親友が多い。
☆十分ということはない、たんのうすれば十分。
☆バラの花にはとげがある口だけじょうずなひとには、真実がない。
☆親に心配かけただけ子供が心配かける、親孝行は人のためではない。
☆氷は暖かさにとける愛と誠の暖かさにすべてが育つ。
☆人を助けたり良いことをしても宣伝したら何にもならない。
☆夫婦げんかは、不良少年を作る。
☆恩を返してもらおうと思うな、こちらが恩返ししたのである。
☆無理をして作った財産はみずからが苦しむ運命を作る。
☆きらいな人でもこちらから親しんでゆけば親友になれる。
☆不良には不良酒のみには酒のみ、友達見れば自分がわかる。
☆動物は笑わないすぐ泣いたり、怒ったりする人は、動物に近い。
☆人の悪口をあなたに告げる人はあなたの悪口も人に告げる。
☆はらをたてることそれが、自分の寿命を縮める。
☆まず相手の言うことを聞いてやれそれから自分が話したら良い。
☆悪いと知りつつ繰り返すものは、やがて滅びる。
☆もらうことだけ好きな人は物乞いの心ささげることを喜ぶ人は大名の心。
☆親の作ったレールを子供が通るわずかなことにも気をつけよう。
☆してやったことは忘れしてもらったことだけ覚えていればよい。
☆りっぱな人格は低い素直な行いが証明する。
☆自己を説明したりいいわけしたがる人は真実の少ない人である。
☆片方がだまっていればけんかにならない、まず自分を見つめよう。
☆顔に自信のない人ほど厚化粧であるように、怠け者に限って嘘が多い。
☆しかられたのではない、まもられたのだ。
☆作物は夜育つものしあわせは、苦労の中に育つもの。 【素直な人は愛される】
素直な人は愛されます 。
素直とは、癖のない真っ直ぐな心です。そして正直で従順な心です。
簡単なようで、こんな難しいものはないかもしれません。
自分の心の癖は自分で分かりにくいものです。少しでも癖があると、 従順になれません。
自分を意識し過ぎるところから嘘は始まるものです。自分を無にする時に正直にもなれるし、従順にもなれるのではないでしょうか。
無になるということは一時的に執着から離れてみることです。
自分の都合を先に考えると、相手の都合はなかなか考えられるものではありません。
自分の気持ちを強く持つ人は、相手の気持ちを軽く見るようになりがちです。
相手の気持ちを大切に考えようとすると、自然に自分を無にしてでも相手に合わせたくなるものです。
相手の気持ちを大切に考えたり、尊敬の念を持つ時に自然に素直な心になるのではないでしょうか。
相手から何かを学ぼうという謙虚な心がある時も素直になれます。
また、相手を理解しようとする優しさや大きな心を持つ時も素直になれます。
素直という心の裏側には、美しいものが沢山あるから大きな魅力が出て来るのではないでしょうか。


【感謝と恨み】
この世で一番立派な心は、人をたすける心と感謝の心です。
この世で一番悪い心は、人を倒す心と恨みの心です。
自分のことは忘れて、人の為に犠牲的に尽くすということは大変難しいことです。
しかし、相手が喜んでくれてそのうえ感謝の念まで持ってくれた時は、尽くして良かったと思いもっともっと尽くしたくなります。
ところが、自己中心的な心から相手を倒そうと思うなら、相手は決して我慢できるものではありません。
戦うか恨むしかありません。
もし恨みの念力が人の運命を変える力があるとでもしたらこんな恐ろしいことはありません。
倒しあい恨みあいによってお互いに滅びて消えてしまう ことでしょう。
反対にたすけ合い感謝し合うならば、運命はお互いにこの上なく栄えて行くに違いありません。
なぜならば感謝は人を拝む心です。念ずるような心です。
もしそこに念力のような力が働くとしたら、そこに幸運が訪れてもなんの不思議もないのではないでしょうか。
そして、さらにこの世の中で最も恐ろしいことは、恩ある人を恨むことです。
それはあまえから、感謝すべき部分に目を向けず、気にいらないとことろだけを見て怒ったり恨んだりする心です。
やがて運命の回路が壊れて、人生はメチャクチャになってしまうことが起きたりすることはないものでしょうか。
「子供を育ててみて初めてわかる親の恩と言います。
あまえが原因で子供が親を恨むことがあったとしたら、もうその時は子供の将来はないかもしれません。」


【幸せは気持ちの問題】
幸せになれる人もあればなれない人もある、何か原因があるのではないでしょうか。
山登りの好きな人は、山の話するだけで嬉しくなります。
そして登る厳しさや苦労も楽しいものです。
幸せになりたい人は、幸せについての話をするだけでも楽しいし、そしてまた幸せへの努力も楽しいものです。
幸せとは形だけではなく気持ちの問題です。
そして結果よりも努力をしている時の方が希望に満ちているからもっと幸せな時であるのかもしれません。
希望に輝いていつも幸せそうな顔をしている人が居たら、その人の顔をジッと見ているだけで何故か幸せな気分になって来るものです。
はじめに幸せそうな顔をした人も、自分が元で相手を幸せな気分にしていることに気付いたら、今度は自分も本当に幸せな気分になって来るものです。
反対に自分が嫌な顔をしていると、やがて廻り廻って自分自身の心までも本当に嫌な気分になってきます。
幸せ、不幸の種は自分が蒔いているのかもしれません。
人の心を幸せな気分にしてあげたいと思う心はすばらしい心です。
自分が他人に幸せの花を咲かせてあげたとしたら、その美しい花を見た自分の方がもっと幸せな気分になれるのです。
幸せは遠い将来にやって来るものと思うより、今の現実を幸せの花でいっぱいにすることから始めてみることもよいことではないでしょうか。
今、ちょっと幸せそうな顔をしてみることで、それが種蒔きとなるのです。
そして幸せな花を沢山咲かせたら、
その数だけ人はきっと陽気になれることでしょう。


【家庭教育】
子供にとって初めての学校は家庭であり、初めての先生は母親です。
性格は家庭でつくられるのですから、親の責任は最高に大きいものと言わねばなりません。
子供を育てる上で一番大切なことは、生きる勇気とたくましさを身につける事ではないでしょうか。
だから親は本能的に、自分の意思で何かをさせて自主性を育てようと一生懸命になります。
しかし、大切なことは自主性だけではありません。
それは確かに勇気とたくましさの芽が出るかもしれませんが、素直さというもう一つの大切なものを教えなかったらわがままな気ままな性格になって、自己中心的なわがままな子になって取り返しのつかないことになってしまいます。
柔順な素直さは、たくましさと相反する心の働きです。
人の話をよく聞く心や、自分の気持ちを抑えて協力していく素直な心を子供の時に十分に養っておかなければ、野獣のようになってしまいます。
大きくなってからでは、もうどうすることも出来ません。
素直さとは入力する力のようなものであり、たくましさとは出力する力のようなものであり、それは両輪の如く同じように大切なことではないでしょうか。
人間はコンピュータに負けないほどいろいろなものを入力しなければ、これからの複雑な社会は生きて行くことは困難です。
人の話をよく聞いて人を理解する力や、仲良く協調してゆく素直さを家庭教育で一番力を入れなければならないのに、たくましさや自己主張という出力ばかりに力を入れすぎるから、子供に苦しめられる親がどんどん増えているのではないでしょうか。


【感じが良い人】
自動車でも家具でも、高級品ほど見た目も感じが良く、そして 良い雰囲気を持っています。
人間も、苦労して磨かれた人格者は、見た目も感じが良くそして良い雰囲気を持っています。
人間は苦労をすると磨かれるか、ひねくれるかのどちらかに分かれてゆきます。
苦労に打ち勝った人が磨かれ、苦労に負けた人がひねくれたり雰囲気悪くなります。
どんな事でも楽しんで働いていると顔がイキイキと輝いて来ます。
苦労を楽しむ事が出来たら、それを苦労に打ち勝ってると言うのではないでしょうか。
楽しんでいる時は、笑顔が直ぐに出ます。
若い女性なら最高のいい笑顔になっています。
笑顔に勝るお化粧はありません。
心の中から出てくる笑顔は本物の笑顔だから最高に良いのかも知れません。
思いやりをかける時も相手の気持ちをいたわるやさしさが自然に笑顔になっています。
自分が喜んでいる時と、人を喜ばそうとしているときに良い笑顔出ます。
どんな苦労の中でもそういうことを積み重ねて来た人が人格が磨かれて感じの良い人になっているのではないでしょうか。
 ただ感じが良いだけではなく、過去の人生の沢山のドラマがその人の雰囲気を作っているのかもしれません。
「喜びの心、喜びを与える心、思いやりの優しい心、素直な心、感謝の心謙虚な心、尊敬の心など、感じの良い人の共通点を探してみませんか。」


【自分と他人】
人間は自分が一番可愛いものです。
だから人はメリットがなければ付き合おうとはしません。
そのメリットとは、欲と優越感を満たす事です。
自由競争社会は文明をどんどん開いてゆきましたが一方で自分と他人の区別を大きくして対立を深めたり、また、弱者を切り捨てたりすることを当たり前とする風潮も進んでいます。
文明は生活を形の面では豊かにしましたが、精神面では人間関係を希薄にし、ストレスを増し、先進国ほど心の病気で苦しむ人が急増しています。
それは家庭ですらも、自分勝手なメリットばかりを追い求めるようになったからではないでしょうか。
人間は未だその解決の道を知らないのが現実です。
それを解決する方法は、そんなメリットを超える価値あるものを発見するしかありません。
人間にとって最高に価値あるものは愛情ではないでしょうか。愛情の為なら、自分が犠牲になる事も平気です。
愛は自分が犠牲になることに幸せを感じるものでもあるからです。
もし、天が人間に愛情という感情を授けていなかったならば、人間はメリットだけを追い求めてゆく怪物となってしまうのではないでしょうか。
自己中心的であることほど恐ろしいものはありません。
幸せとは自分が人より優越することであると思ったり、自分の欲望を満たすことであると思う人が最近多いということは、子供の頃に、そういう環境で育つことに原因があるのではないでしょうか。
広く思いやりとしての愛情のかけ方や、愛情の受け方を教える愛情教育の研究が行われなければ、美しい愛情は育ちません。愛情の価値を今日誰かが教えているのでしょうか。
自分と他人の境をなくして、うちとけあって心の絆を強くしてゆくことが、これからの人類の一番必要なテーマなのではないでしょうか。
「物の豊かさに恵まれた先進国ほど、今心というものが失われつつあります。
これを解決する道は、まず、あなた自身がそこに気づくことにあるのではないでしょうか。」


【「ノーと言える日本」の誤解】
「ノーと言える日本」という石原慎太郎氏の言葉が有名になりました。
それはアメリカに対して言った言葉であったものが、日本人の私生活の素直さまでも否定する言葉となってしまい、今日本中の多くの人々が「嫌なことは嫌と言え」と解釈して、反抗や自己主張を美徳とする風潮が起きています。
自分の気持ちが一番大切なのだから、気が向かないことはみんな「嫌だ」と言っても良いのだと誤解して、堂々と「ノー」と言える習慣が今日本中で始まっています。
学校までも、個性教育とは、自分の気持ちを一番大切にすることであると解釈して益々助長しているかのような感じさえあります。
「人の気持ちよりも自分の気持ちを一番大切にせよ」ということは、わがままと自分勝手を奨励しているようなものですから、学級崩壊が増加するのはあたりまえではないでしょうか。
相手の身になって考えることの大切さを今日誰かが教えているのでしょうか。
自分の気持ちしか考えられない人は結婚しても直ぐに離婚してしまいます。
子供が生まれても、自分がしつけを嫌がって来たものですから、子供に対してもしつけは出来ません。
今の若者たちはしつけや道徳をバカにして嫌がっているために、就職をしても会社が大変に困惑しています。
自分の気持ちしか考えないで、「嫌な事は嫌」と言う人が会社で勤まるわけがありません。
他人の人が嫌がることを喜んでやってこそお金は頂けるというものです。
わがままな人にとっては世の中は嫌なことばかりです。
「嫌な事を嫌と言って好きなことをしなさい、それが個性だ」と教えています。
個性とは振りかざすものではなく、消しても消しきれないものが個性です。
人に喜ばれるものでなかったら、それは単なる癖というものであるかもしれません。
自己中心的なわがまま人間になって、誰のが何にでも「ノー」と言う人ばかりになったら、世の中は一体どうなってしまうのでしょうか。
素直や忍耐の美徳は何処へ行ってしまったのでしょうか。


【現状維持にあまんじるな】
“そこに山があるから登る ”と言った有名な登山家の言葉が流行しました。
そこに仕事があるから人は取り組むというのが人生であるのかも知れません。
中には生きるためにはしかたないと言って、仕事をする人もあります。
仕事の好きな人には仕事は山登りと同じような面白さを感じる事でしょう。
しかし、ただ仕事が好きだと言うだけでは何の進歩も発展もありません。
堂々巡りをして山を登っているのか降りているのか分からないようなものです。
ただ動くだけで何とかなるだろうと軽く考えたり、自分の思い込みのままでやっていこうとするのは怠けですから、頭はどんどんボケていきます。
いままで順調で無事であったから今後も、大丈夫であるとは限りません。
どんな予期せぬことがいつ起こるか分からないと思って、あらゆる角度から考えて見ると言う習慣をつけておくことが必要です。
飛行機は百万回に一回で事故が起きるという最も安全な乗り物であるといわれています。
しかし、それをどうすれば2百回に一回までに出来るかと常に研究が続けられています。
事故に限らず改善も全く同じことで、現状維持では時代の変化に対応出来ないから将来が真っ暗です。
好奇心や工夫や洞察力があれば、変化と共に発展は続けられるはずです。
しかし、人間はどうしても現状維持に甘えてしまいがちで、惰性に流される弱さがあるのではないでしょうか。


【これからのビジネスの方向】
感じが良いお店は繁盛します。
しかし、感じが良いだけでは必ず繁盛するとは限りません。
嬉しくなるお店なら必ず繁盛するのではないでしょうか。
これからのビジネスは、どうすればお客様が嬉しくなるのかを研究しなければなりません。
その為には、お客様が何を大切と考えて生きているのかということから知らなければお客様の本当の全貌がつかめません。
お客様を根本から理解しようと努力するところにいろいろなものが見えて来て、要望に応える応え方もわかって来るのではないでしょうか。
誰よりもお客様の良き理解者になることがビジネスの基本であり、そして第一歩であるはずです。
お客様ご自身よりももっとお客様のことをこちらが良く知っているところまでいけば、本当のなすべき効率的なピンポイントサービスが出来るのではないでしょうか。
人はみな価値観が微妙に違うものですが、そこまで読んだキメ細やかな対応をしてこそお客様に心からの満足を与えられることでしょう。
嬉しいという気持ちは満足から始まります。
そして満足の次に嬉しいと思うものは希望です。人は希望がわくと嬉しくなります。
人は希望がなければ生きて行くことは出来ません。希望は生きるための最も重要なものですから、お客様の希望がわくためのお手伝いをすることが、これからのビジネスの一つの方向であると言えるのではないでしょうか。
今、産業社会が終わって高度情報化社会が始まっています。この新しい時代をどう生きるかと多くの人々が戸惑っています。
ビジネスの在り方を根本から考え直す地代がもう始まっているのではないでしょうか。
≪お客様の欲しいものは「満足と希望」です。≫
≪お客様に「満足と希望」を与える競争がビジネスであるという常識が根付いて≫
≪いくのではないでしょうか。 ≫


【運命の法則】
自然界は墨から墨まで厳然とした法則に基づいて動いています。
科学はその解明に取り組んでいますが、まだ千分の一か万分の一しか解き明かすことは出来ていないのではないでしょうか。
人間が今一番知りたいのは運命の法則かもしれません。
人々はそれを宗教に求めたり、また体験から学んだりしています。
例えば、商売繁盛も家庭円満も、自己中心的になると壊れるが相手を喜ばせるとお互いの喜びとなって返ってくるということを今日誰もが知っています。
それは科学的に証明されたというものではなく、体験から常識としてわかって来たことです。
人をたすけたら自分もたすかるという法則を人々は生きる知恵として身につけつつあるのではないでしょうか。
そしてもう一つの生きる知恵として人々が知っていることがあります。
それは「ありがとう」という言葉です。ありがとうといってこちらがたすかれば、相手は人をたすけたことになります。そこには「人をたすけたら自分もたすかる」という原理が働きます。
つまり「人を助けた者がたすかる」という法則に従って喜んであげるだけで相手の運命がたすかってゆくということを無意識のうちに人々は心得て実行しているのかもしれません。
感謝をするだけで、相手がたすかる。たすけたら自分もたすかるということですから、「ありがとう」という言葉ほど素晴らしいものはないとして、今世界中の人々が一番多く使っているのでしょう。


【益々幸せになる法】
歯が痛いとき、早く治って人並みに食べられるようになりたいと思います。
入院して歩けない人は、早く治って人並みに歩けるようになりたいと思います。
ところが、歯も治って元気で食べられるようになると、喜びはつかの間で、そんなことはあたりまえと思いはじめ、もっと美味しいものを食べたいとか、もっと面白いところへ遊びに行きたいと思うようになります。
少し幸せになると、もっと幸せになりたいと思うのが人の常ではないでしょうか。
そうして次々と希望を求めて努力することも良いことかも知れませんが、ただそれだけでいい気になっていると、おごりの心が高くなって、不満の心も次第に強くなり、反省をしたり自分を戒めたりすることが出来なくなります。
そしてやがては人を思いやる気持ちも薄くなり、自己中心的な人間が出来上がってしまうことでしょう。
人間の心はもともと清水のようにきれいなものであったものが、きりのない欲の心から泥水へ化したり、鼻持ちならない高慢へと昇り上がったりすることがあります。
人は幸せな時や好調な時に、段々増長する弱さがあるものなら、よくなればなるほど慎みの心や戒めの心を持つことを忘れないようにすることが大切です。
神様は人間を幸せな陽気ぐらしをさせてやりたいと思ってつくられたものなら、幸せになればなるほど、欲や高慢がひどくなる人を一体どうなさるでしょうか。
きっと、何か問題を与えて反省をうながすか、幸せにしてやることを一時あきらめるかのどちらかしかないはずです。
一番よい方法は、幸せになればなるほど謙虚さと慎みの心を持つことです。
そして益々幸せな陽気ぐらしへと天に導かれることになるのではないでしょうか。
≪失意の時こそ発奮の時、幸せな時こそ謙虚に反省の時。≫
≪心が成長した分だけさらなる幸せが訪れるかもしれません。≫


【幸せになれる人なれない人】
悩みのない人は居ません。
人間はみな何かしらで困っています。
神様が人間を創ったものなら、なぜ神様は人間を困らせのしょうか。
家が金持ちで本人の自由を認めて放任主義の子供は、一見幸せそうですが、しかし、薄情で不良の子になってしまう場合がよくあります。
家が貧しく親が苦労していると子供は遊ぶことも出来ず、一見可愛そうですが、しかし、親思いの優しい子供が育ちます。
「家貧しうして孝子出づ」という諺は昔からの経験から出たものかもしれません。
最近の人々は豊かな恵まれた暮らしをするようになりましたが、しかし、親孝行などという言葉も次第に消えてしまいつつあります。
豊かな暮らしは、子供をダメにするだけでなく、親本人もおごりの心が出たり、薄情な人間になったりと、自己中心的な人間になってしまいがちです。
人はやはり何かで困っている方が、謙虚さや優しさを失わないのかもしれません。
少し幸せになるともっと幸せになりたいと思って益々自分のことしか考えなくなるような人を、神様が幸せになることを許したら、きっと神様は後悔して悲しむに違いありません。
少し幸せになると、これでは勿体ないと、益々低い優しい心になって人に尽くしてゆく人が居たら、神様はその人をもっともっと幸せにしてやりたいと思って放っておけなくなり、更に深い愛情を持たれるのではないでしょうか。
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